私のこと

プロフィール

幼少期〜中学時代

自営業を営む職人の父、自営を手伝う母のもと、次女として生まれました。性格は寡黙でマイペース。

2歳上の姉は活発で誰とでも打ち解け祖父母にとても可愛がられるような子だったのですが、私はおとなしい子でした。歩くのがとても遅く、毎朝姉に手を引っ張られて幼稚園に通っていた。

母は参観日、他の子が活発にお遊戯している側でぼーっとしている私を見て心配したそうです。

でも、当の私は、自分の世界で楽しくやっていました。絵本が好きで、お気に入りの同じ本を何度も借りてきて繰り返し読んでいました。

本のタイトルは今も覚えています。あと、運動神経が良かった。普段は寡黙なのに、相撲大会では横綱、かけっこは1番でした。親友と呼べる友達もちゃんとできました。

小学校に入ると、かなり活発になりました。運動神経が良く、運動会でメダルをもらったり、バレーボールクラブに入り、交友範囲も広がって自我が芽生え出しました。

姉の影響で高学年から真面目に勉強し出したので、成績も良かったです。寡黙な幼少期から一転、活発な子供に生まれ変わりました。

誰かがイジメられると、先生に相談し、それによりいじめっ子から仕返しされましたが、全く気にしない子でした。

好きなアイドルの映画を観て感動し、親にもう一度観に連れて行ってとせがみましたが、自分で稼げるようになってから行け、と。

早く大人になって100回でも観たい、と本気で思いました。

一つのこと夢中になるとその世界に集中して抜け出せなくなってしまう性格で、寝る前の妄想で、アイドルと私が出会って恋に落ちる、みたいなストーリーを考えて眠りについていました。平和ですね(笑)

中学生になると優等生ぶりを発揮し、マウントを取っていました。

でも、思春期特有で、異性の目が気になり出し、人が笑うと私のことを笑っているんじゃないかと不安になったり、実際笑われたり。学校に行きたくない日々でした。

でも、休むと私がいない間に自分の悪口を言われるのが怖かった。怖くて休めませんでした。中二からは病気一つせず皆勤賞。毎日緊張していたんでしょうね。

志望校に合格することをモチベーションに勉強し、見事合格しました。やってやった!という気持ちでした。

高校〜浪人、大学時代


進学したのは地元一の進学校の女子校。

子供の頃から憧れていたので、制服を着た時は嬉しかったです。これから良い大学に入って、東京の一流企業に入るんだ!と意気揚々としていました。

受験から解放され、希望に満ちたこの時期が人生で一番幸せの絶頂でした。しかし、入学初日から、担任に「うちは水を飲みたくない馬に無理やり水を飲ませるところだ」という衝撃的な言葉を浴び、受験まで張り詰めていたものが一気に緩み、勉強への意欲が燃え尽きました。

勉強のモチベーションは上がりませんでしたが、テニス部に入り、今でも付き合える友人と出会えました。でも進学校での落ちこぼれは惨めなものでした。

結局どの大学にも受からず二浪することになります。

17歳の時、尾崎豊が急死しました。

メディアで大きく取り上げられたことから私は彼の曲を聴くようになりました。当時の私はエネルギーはあるのに発散の矛先が勉強でも部活でもない。

有り余っていたものが全部尾崎にいったんでしょうね。たちまち全てに虜になりました。詞の世界観、ライブパフォーマンス、声、完璧なルックス。

でもはまればはまるほど、彼はもう居ないんだという絶望に襲われ、受験期なのに全く勉強に身が入りませんでした。

何一つ形にできず、将来も見えない自分が虚しくなり、表現者として完璧なまま早世した尾崎と自分を比べて卑下していました。

予備校ではそれなりに勉強したつもりでしたが1校も受かりませんでした。

後にも引けず2年目は宅浪を決意。

しかし、集中できていない私を見かねた両親は姉のいる東京の予備校に行くことを勧めてくれました。不本意でしてが、憧れの東京生活が始まりました。

二浪中は1日12時間の猛勉強でやっと私立の2校に合格できました。

第一希望ではなかったのですが、これで勉強しなくていいという開放感がありました。

やっと入学できた憧れの大学生活。キャンパスライフ。

尾崎の影響で、表現することで人を感動させたい!という夢を密かに持っていました。

大学四年間であらゆる方法を試して、何とか形にしよう。サークルは演劇と軽音楽部に入りました。

そこで自己表現し、認められ、将来はその世界で成功したいと思っていました。

でも狭き門であり、他者の圧倒的な才能に打ちのめされました。

その時期の日記をみると憧れと現実のギャップに苦しみ、自分への恨み節が多いです。

大学時代は悶々としていました。

社会人生活開始。絶対制作希望!


就職活動はモラトリアムを引きずりつつ、「表現する」ことができそうなマスコミ関係を受け、1社だけ受かった地元のテレビ局に就職しました。

もちろん制作希望。でも配属先は営業庶務でした。同期が制作に配属されたので、かなり落ち込みました。

ところが、実際営業部で庶務として働き始めると、営業部の優しいお兄さん達、面倒見のいい上司に恵まれ、同じ部署に好きな人もできて楽しい日々でした。

何を言っても新入社員だから許されたし、責任もない。気楽でした。

でもこれが本当にやりたいことではない。

私は自己表現して成功したいという気持ちがあった。

念願叶い、入社して半年後、希望の制作部に異動できました。

でもそこから新たな苦悩が始まりました。

制作はまずはカメラアシスタント、機材持ち、弁当発注など雑用をこなし、仕事を覚えます。

先輩の先を読んで動く気働きと、早朝から深夜まで働く体力が求められます。

私にはそれがなかった。毎日眠くてしかたなかった。

収録中ずっと立っているのが辛かった。

気働きもできなくて毎日怒られていた。

でもこの道しかない、絶対に番組制作を通して自己実現したいばかりに、しがみつきました。

まるで修行僧です。

でも、半年後、翌年新入社員が入ってきたタイミングで広告を売る第二営業部に異動を命ぜられました。

伝えられた時はショックでしたが、過酷な日々から解放されるほっとした気持ちもありました。結局自分で番組をディレクションすることはできませんでした。

初めての営業、才能開花?


不本意な異動でしたが、営業で日中に街中に出られることが新鮮でした。

最初に担当したのは紙媒体でのランチ特集。

午後2時から4時の間に、飲食店に飛び込み営業し、2~3万の枠を契約がポンポン取れた時代でした。

これまでガチガチの上下関係だった制作の現場から、ある程度時間を自分で決められる営業職は私に合っていました。

社内で女性初の営業だったので注目度も高く、成績も良く、何度もMVP を貰いました。

トップセールスで何をやっても褒められる存在。

こんな日々が10年ほど続きました。

 

管理職から所属長、そして新たな苦悩。


結果を出し続けた私は順調に出世街道を爆進し、所属長に抜擢されました。

当時30代半ば。5人程の部署でしたが、所属長としては若い方でした。

使えない制作部員だったころとはうって変わり、責任感が強く、完璧主義。

紙面広告には校了という締め切りが毎月あって、それを守るのがマスト。

毎月毎月、校了のゴールテープを切るゲームみたいでした。

誰のためとか、何の役に立つのかとか、考える余裕がなかった。

常に頭にあるのは空き枠を埋めること

校了日までに原稿をあげなければ

ノルマをどうやって達成するか

達成できなかったらどうしよう

これを乗り切ってもっと高みへ行って違う景色がみたい

もっと出世して、一流と言われる人たちと付き合いたい

気持ちは一杯一杯でも、何とか毎月売上目標を達成していたので、所属長としての私の評価は上がりました。

一方で、達成できない部下には、年上だろうが、逃げ場が無くなるまで問い詰め、追いつめていました。

こんな毎日は自分もしんどいし、続くはずがない、いつか終わりが来る、バチが当たる、

昔は尾崎が好きで、センチメンタルな自分もいたのに。

何でこんなモンスターになっちゃたんだろう、

みんな私のこと嫌いだろうな、私も自分が嫌いだな、私も皆が嫌い、

そもそも何で営業なんてしてるの、昔は演劇で成功したかったのに、

才能ない私が悪い、

あーもう消えて無くなりたい。

疲れて帰る車中で、こんな事を考えては、尾崎の曲をを聴きながら泣いていました。

尾崎を聴いて心を震わせていた17歳の自分はもういない。

子供の頃思い描いた自分になれていない。

もう辞めたい。

明日こそ上司に私はもう無理ですって伝えよう。

すんなり辞めたいから誰か結婚してくれないかな。

でもこんな状態でも、この役職を降りたいと、私には無理ですと言えませんでした。

言えば、役職を降りて一時的には楽になるでしょう。

でも私の価値は確実に下がる。

それは自分のアイデンティティが無くなること。

結果を出して、認められる事が私の唯一の存在理由でした。

求められている事がキャパオーバーである事は自分が1番よく分かっていました。

でも、誰よりも私が自分に期待していた。

終わらせられなかった。

ゴールが何なのか、

ゴールがどこなのかもわからず、

光の見えないトンネルから抜け出せない日々でした。

そんなにムキになるな

たかが仕事

代わりはいくらだっている

そんな働き方体に悪い

体壊せば元も子もない。

分かります。

でも、自分から白旗を上げることが出来ませんでした。

こんなに疲れてボロボロにならなきゃいけないのかな、仕事するって。

皆そうなのかな

一流の人ってこういう事を超えてきているんだろうな、私は今試されているんだ。

そんなことをあてどなく考えていました。

破綻、そして奈落へ。

こんなギリギリの状態が三年程続いたある日、破綻は突然きました。

部下の一人が虚偽の売り上げを自腹で建替えていた事が発覚。

その後も別の部員が鬱病になり休職。

一人また一人と退職や異動で部員がいなくなり、私一人になりました。

過去に部下がやっていた仕事を全て私がすることになりました。

私のせいで稼働人員が減ったので、文句も言えない立場でした。

減らない仕事、面白くもない仕事、こんな自分、惨めで恥ずかしい。

辞めたいけど、今辞めたら私の市場価値が低いまま、逃げることになる。

でもこんな日々辛すぎる。

そこで私が思った事は、期限を決めるという事でした。

ちょうどその頃、世の中全体が2年後の東京オリンピックに向けて動いていた。

そこをゴールに決めました。

2020年3月31日。そこまでに力をつける。

今までは私に力が無いから、はけ口を弱い方へ向けていた。

市場価値を上げて、今よりいい会社に転職する。

映画のワンシーンで、カレンダーに計画を実行する日に丸を付けて、1日が終わるとバツ印で消していく、というのがありますよね。その心境でした。

その後部員は一人増えましたが、私は所属長を外され、いち営業マンとして作業のように仕事をさばいていく日々が始まりました。

営業をしたことのある人なら分かると思うのですが、既存顧客からの継続が外れると、新規で補填しなければなりません。

新規はとても労力を要するので、既存顧客からの継続の契約は、ノルマを達成する上で重要です。

結果、私は既存顧客への継続営業に忙殺され、新しいことに挑戦する余裕が無くなりました。

来る日も来る日も知った顔のお客さんを回り、ひとつ今年も昨年と同様の契約をお願いします、というルーティーン。

気力も体力も奪われていく。

仕事はつまらないし、こんな風に思っているのに契約をもらってお客さんに悪いし、疲れて休みたいしい、自分に誓ったはずのスキルを身につけて強くなって高飛びする、という目標は実効性の無いもになっていきました。

周りは結婚だ出産だで仕事を休んで、仕事の距離をとり、軽やかに戻ってくる。

母や妻という別の価値を追加して。それがすごく羨ましかった。

私はずっと仕事中心の人生だから、これにすがるしかないのか。

いやもっと他に私の価値があるバズだ。価値を見つけないと。市場価値を上げないと。

もちろん、こんな日々でも働いていて新しい出会いはあります。

でも全然足りない。

ある女優さんが言っていた、

仕事で誰かを感動させる事ができて、自分も成長する事ができる、これ以上の幸せはない、

それが凄く響いて、同時に虚しくなりました。

仕事を収入源として割り切ることもできず、生きがいにもできない。

40代に半ばにもなって、迷い続けていることが、コンプレックスでした。

コロナ、休職。ー激動の2020年ー


2020年コロナがやってきて、期限と決めた3月31日は非常事態の中で、慌ただしく過ぎていきました。

相変わらず忙しいだけの毎日で、何とかしなければいけないと思いながらも、力が湧いてこない。

傍目からは忙しくバリバリ働いているように見えたかもしれません。

でも悶々としながら現状を変えられない自分に絶望していました。

何でこんな風になっちゃたんだろう、私真面目に生きてきたよな、成功しているあの人と私と何が違うんだろう。

とうとう私は体調を崩し、2ヶ月間休職しました。

休職中は国から6割支給される仕組みですが、時間差があり、貯金がないと生活は厳しい。

おまけに給与天引きになる保険料を会社に支払わなければならない。

会社から離れるって現実問題厳しい。

会社員でいることで守られていることを実感したと同時に、

自分を追い込むこんな働き方はもうやめようと思いました。自分の体を大切にし、働き方を本気で変えよう。

私の人生は、私自身が幸せにする。


20年以上広告業界で働いてきましたが、ここ数年、自分が提案しているものが、クライアントや時代のニーズに合っていないことに悩んでいました。

でも誰に聞いてもわからない。

何をどう提案していいかわからない。

そんな時、webマーケティングを学ぶzoom 講座が目にとまり、受講しました。すがる思いでした。その重要性に加え、この言葉が響きました。あいつは異常だと言われるほど学び狂ったもん勝ち!

今も、苦しい日々は変わらない。

学び始めるといかに足りていないか突きつけられ、自分の輪郭が小さく思えます。

何かに挑戦することはできない自分を直視すること。

でも諦めないで学んでいきます。

私の人生は私自身が幸せにする。

関わってくれる全ての人に感謝しながら、自分も成長して、少しでも人の役に立てたら、

これ以上に幸せはない。

私の人生の第2章ははじまったばかりです。